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自由な演奏、自由にする演奏

即興演奏の場で自由に演奏すること、ってことよりも、人を自由にする演奏はできるのか?と思ったり。

でも自由って何もないところに生まれなくて、制約からの解放という自由の意味あいが大きいと思います。そうするとあえて自分は制約を提示することが人を自由にする?のかもと思ってみたりしました。

音を出すと誰かに聞こえちゃうわけですが、その次に音を出す人は、最初に音を出した人に縛られちゃうわけですよね。

例えば小さな音でFのコードを弾いたとして、
次の人がFスケールの音をだせばコードに引きづられてるし、
でっかいノイズをだせば、「敢えて合わせない」感じがする。即興と言っても音と音の連なりと文脈の中で何かが生まれていくわけで、そこで人を自由にしていく演奏ってなかなか難しいしおもしろいテーマなんじゃないかと。というかこれがアンサンブルなのでは?と思ったり。

自由即興じゃなくてもジャズでもクラシックでも同じようなテーマが根底にある気がします。譜面やコード進行と の有無とかスタイルは関係なく、他者とお互いに自由な関係を保ちつつ、調和を目指す行為がアンサンブルというのではないでしょうか。

即興演奏は各人がおもむくままに流れていくわけですが、大事な部分は譜面のある音楽と変わらないと思ったり。

むしろ譜面や曲に助けられて、アンサンブルって考えなくてもできちゃうのでたまにはガチンコ即興演奏で、音楽に向き合うべきだと感じたのでした。

というわけで、今回は、「よく聴くことがよりよい即興演奏には重要」だろう…、という一般的常識的認識をすこし踏み外し、聞こえた時はたぶんそれは後の祭り、ではなかろうか、ということを話題にしました。すなわち、もう聴覚ではなく嗅覚。ニオイで察知する。もう超感覚ですね。鼻で即興!ということではないけど。実際に楽器から異臭がするということはないですので、ニオイや香りに象徴されるような超感覚。一種の思い込み、気の迷い、のようなものにも近くなるおそれもないことはないですが。
ということで、どうもごちゃごちゃとまとまらない考えをそのまま書いてしまいましたが、即興演奏というものを実践するにあたって、全体をくまなく聴いてから演奏してたんじゃ遅い。ではどうすれば良いか。よく、聴かないでやる、出来るだけ関係ないことやる、ということやることもあるけど、これもやはり直観的に受け入れがたいですよね。素直な考え方ではないように思える。そうではなくて、パッと全体を捉えて、その「感じ」で反応する。その「感じ」はなんとなく「嗅覚」に近いような感覚なんではないだろうか…、と考えた、という話でした。